ファンディの日々雑感。

日々の生活の中で感じたことを諸々書き綴っています!!

車検のない国(州) オーストラリア クイーンズランド州

 先日の投稿では、自動車にかかる税金のことについて書き、この中で車検のことにも触れた。この車検という言葉から、今から25年ほど前になるが、オーストラリア クインーズランド州ブリスベンでのホームステイを思い出す。この国は、州ごとに法律が異なっており、クイーズラント州は、なんと車検制度がなかったのである。

 ホストファザーは、日本では見かけなくなった古いサニーを愛用していた。かといってお金がないわけではなく、家にはプールがあり、ゲストルームはシャワー完備。広い庭でバーベキューを楽しんだことを思い出す。特別に高給取りと言うわけでもなく、ホストマザーはパートだったように記憶している。

 家の買い替えを検討していると言うことで、セール中の物件見学に連れて行ってもらった。日本では考えられないような広さの家が、2000万円を切る価格だったように記憶している。土地が安く、雨の少ない気候であり、そして地震がないため、躯体に費用がかからないことが理由なのだろうと思った。

 日本から持って行ったお土産を包んでいた新聞紙に分譲マンションの広告が載っていた。4LDKで4000万円ほどだっただろうか。それを見たホストファザーに、価格をオーストラリアドルに換算したものを渡すと、広さ(狭さ)と金額のギャップに目を丸くしていたことを思い出す。

 ホストファミリーやお邪魔させていただいたいくつかのファミリーに共通していたことは、なんでも所有するのではなく、必要なものにはしっかりとお金を使い、自分たちの生活への必要度が低ければほどほどですますという感覚を感じた。日本人は、購買意欲を絶えず掻き立てられているためなのか、なんでも所有し、かつグレードの高いものを求めていくという指向性があるように感じる。家電製品がその例に当てはまるのだろうか。

 もう一つ思い出した。

 食事中、「仕事から何時頃家に帰るのか」と言う話題になった。「19時から20時前後くらい」というと、間髪を入れずにクレージーという言葉が返ってきた。60前後のこの夫婦は、16時過ぎには仕事から戻ってきて、カーデニングをしたりしながら夕食までの時間を過ごしていたように記憶している。

 同じ人間として1日24時間を平等に与えられているにもかかわらず、住む国、場所が違うだけでこうも違うものなのかと愕然としたことを思い出す。

 車検の話から、話題が逸れていったが、結論として「とにかく日本は生きていくためのコストがかかり過ぎる」ということを強く思う。その一つの顕著な例が各種税金である。この国自体が高コストの仕組みとなっているが故である。

 

ホームステイ後に書いたレポートに、私の当時の心情が表れている。

『二人の生活の中で感じたものは、毎日楽しく有意義に過ごしていこうとする姿勢であった。また、見ず知らずの私を全面的に受け入れ、家族同様に扱ってくれた寛大さを感じずにはいられなかった。初対面の私にプライベートの部屋をあてがい、「キッチンを自由に使っていいよ」と、どこに何があるのか隅々まで教えてくれた。

 こうした生活を通して改めて考えさせられたのは「ゆとり」についてであった。勿論前提としてあるのは個々の人間性であるが、それを支えるものとしてこの「ゆとり」の大切さを感じた。時間のゆとり・経済的なゆとり・居住空間的なゆとり等々。これらが満たされることでリラックスもでき、精神的なゆとりも生まれてくるのではないだろうか。無理のないゆったりとしたした、それでいて楽しく充実した二人の生活を見て、とても羨ましく感じた。』

 

 ホームスティが終わり、帰国したの後の人生目標が、『将来はオーストラリアで生活をする」になったとレポートには書いている。

 

 この文章を書きつつこのことを思い出した。