20日余りの大阪滞在が終わった。大阪市淀川区をベースにして、この間、大阪市内はもちろん、京都・神戸にも足を伸ばした。大阪には度々訪れているが、ざわざわした印象で街が雑然としているイメージを持っていた。
今回長期に滞在し、いろいろ見て回る中で大阪が変革していこうとしている姿を見ることができた。長らく続いた府と市の対立の中でいろいろなものが停滞していたという。それらが政治の力で刷新され、今変革の中にある。2025年には大阪・関西万博も開催される。
これからの大阪の変容が楽しみである。
さて、今回の大阪滞在で、大阪市民の日常に少しばかり触れることができた。特に考えさせられたのは子育て環境と住環境である。
朝の出勤時間、主にお母さんが自転車の前と後ろに就学前の子供を乗せ保育園に向かっている。毎日見た光景。風の日もあれば雨の日も当然ある。週末の寝具の持ち帰りがあれば大変さは一段と増すであろうことを想像する。地方であれば子も荷物も車に乗せるだけで済む。
更には、兄弟児を同じ保育園に預けることができないことは珍しいことではないらしい。早朝の保育園の梯子である。また、慢性的な入園待機も発生しているようである。保育園への入園ができず、働くことを断念しなければならないこともあるという現実。
我が国の人口減少問題への対応は重要課題である。人口減少がもたらす問題は、将来の国家のありようにも大きな影響を与える。現在、年間約50万人の勢いで人口が減っている日本。テスラ社のイーロンマスク氏に、このままだと日本は消滅すると指摘された。このことについては11月16日のブログにも書いたとおりである。
であればこそ、子育て環境を整え、子供を産みそして育てることに夢と希望を誰もが持てるようにすべきだと思う。子供を産み育てる喜びの前に「大変さ」の感情が芽生えてしまうという現状。養育費や教育費を考えると、子供を生むことへのためらいが発生するのは当たり前なのかもしれない。兵庫県の明石市が子育て支援に重点を置いた政策を実施し、その結果として「出生率の増加」「人口増加」「税収の増加」などの成果を出している。
先日、長野県のある自治体で、公園で遊ぶ子供の声がうるさいと訴える一人の住民の声を行政が聞き入れ、公園を閉鎖するというニュースが話題になっていた。「子供時代」は誰もが通ってきた道である。うるささもあるかもしれないが、そこは「お互いさま」という寛容さの中で地域が子供を暖かく包んでいたように思う。
世の中の歯車が少しずつずれ始め、軋み出していることを感じるのは私だけであろうか。
ジョン・F・ケネディがこう言っている。
「子どもたちは、私たちには見ることのできない時代へ送る生きたメッセージなのだ」と。
そしてネルソン・マンデラは次のように述べている。
「子どもたちをどう扱うかということほど、その社会の魂を鋭く暴くものはない」と。
子育て環境の改善充実は、大阪だけの問題ではない。
今一度、「子供は国の宝」という言葉の持つ意味を考えていきたいと思う。
大阪の子育て環境から始まった話が長くなってしまった(汗)
住環境については、改めて次の回でまとめてみたいと思う。