大阪市内外でファミリー型のマンションを見て回ることになった。賃貸が中心。
現在大阪市の人口は269万1000人。人口推移は横ばい状態である。近年、市中心部では若年層から高齢者層まで幅広い層の人口が増加しているものの、全市的には、依然として30歳代から40歳代の中堅層の転出超過が続いている。大阪市内から市外への転出者に対して行ったアンケートでは、「緑の多さ」 「地域の防犯・治安」「子どもの遊び場の整備水準」「住宅の広さ・日当たり」「住宅費の負担」などについて、不満と答えた人の割合が高くなっている。特に、「防犯・治安」では、市内の街頭犯罪の発生件数が政令指定都市の中で最も多いなど、街の防犯性の向上が課題といわれている。市政モニター調査でも、住環境の重要な要素として96.8%が「防犯性」を「重要である」または「どちらかといえば重要である」と回答されている。これらの質問項目を別の言葉で表現すれば、「子育て環境」と言い換えることもできる。前回のブログにも通じてくる。
このような現状の中で賃貸型ファミリーマンションを見て回ったのだが、とにかく家賃が高かった。大阪に限った話ではないのだろうが2LDKの70㎡前後から家賃が10万円を超えてくる。先程の子育て環境を優先して選ぶと13万円を超える。これが分譲マンションになると5000万円オーバーの世界である。
大阪府内の市区町村の平均所得を見ると一番高い箕面市が419万円、3位は吹田市で399万円、以降300万円台が続く。ちなみに大阪市内では21位に大阪北区が326万円でようやくランクイン。参考とした資料では全国平均276万円。大阪平均320万円となっている。
所得と住居費のバランスについて考えさせられた。
国は、住まいと生活機能(交通、商業施設など)が近接している効率的な都市づくりを目指している。コンパクトシティという言葉で表現されている。理念として理解できるし、人口減少と経済成長が大きく望めない状況の中では、効率化の視点は重要であると思う。
ただそこには居住にかかる費用が示されていないことに気づかされる。
無理なく支払いができる家賃は一般的に月収(手取り)の1/3という目安があるそうである。12月9日のブログで「持ち家論争(持ち家vs賃貸)」について私見を述べたが、分譲価格や家賃がここまで高くなると、もはやどちらが得かと言う話ではなくなってしまう。
「年功序列型賃金」や「終身雇用」等の日本の高度経済成長を支えた雇用システムの崩壊、また経済成長の面でも先進国の中で唯一所得が増えていない我が国日本。最低賃金でも未だ3桁の水準で世界各国と大きな開きが生じており、もはや外国人労働者にも賃金の面で魅力ある国とはなっていない。(このことについては10月19日のブログでも書いた)
国内に目を転じてみると原油高を理由に様々な物の値段が高止まりしており、依然として多くの国民が苦悩している。このことは建設業にも当然あてはまる。あらゆる資材の価格が高騰しており、結果として完成物件価格もさらに高額化している。まさしくいろいろなものが負のスパイラルの中にあることを思う。そして人材不足がさらに追い討ちをかけている。
ここまで書いてきてふと思った。敗戦直後の何もなかった頃の時代は、ものを所有していくことが人生の目標となった。高度経済成長を経て多くの国民が豊かさを実感し始め、身の回りにはいろいろな家電製品が当たり前のように揃い、マイホームやマイカーも手に入れた頃になると、今度は自分だけのオンリーワンを得ることが人生の目標になっていったように思う。それぞれの時代に合わせた人生の夢があったように思う。
今はどうか。生きづらい世の中で、夢を持ちにくい時代になってしまったように思う。さらに言えば「生きることは戦い」のようにも感じてしまう。
これまでの老後を支えた「年金」「貯蓄」「保険」の3つだけでは、人生100年時代といわれる今、夢を持ち、豊かに生きていくことは難しい時代になってしまったと思う。政府は、今頃になって投資の重要性を言い出している。反面、多くの職場では、依然として兼業副業禁止となっている。
著書「投資マンションが気になったら読む本」の中で繰り返し述べているが、資産を生み出す術について学び獲得していくことは、これからの人生を不安なく、夢を抱きつつ生きていくためにとても大切なことと思う。投資マンションのみが唯一無二のものとは思わないが、「年金」「貯蓄」「保険」の3つ以外の何かを手に入れることは、これからの時代を生き抜く上で大きな意味を持つことを思う。