ファンディの日々雑感。

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坂東真理子著『70歳のたしなみ』

 先日、坂東真理子著『70歳のたしなみ』を読み終えた。  

 70歳はまだまだ先の年齢だが、先人の方々が書いた人生訓の類の本を読むのは結構好きである。もちろん誰の本でもよいというわけではないが、長い人生の歩みの中で、導きたどり着いた境地の言葉から学ぶことは多い。

 

 今回読んだ本の著者坂東真理子氏には、ずっと以前にお会いしたことがある。オーストラリアのブリスベン市に研修で訪れた際、領事館に表敬訪問をする機会を得た。この時の総領事が坂東氏だったのである。日本初の総領事として当時話題になっていた。鮮やかなブルーのスーツ姿で我々の前に現れ、にこやかな表情でご挨拶をいただいたことを覚えている。内閣府を退官された後、大学の理事長や総代を務める傍ら、著書も多数出版されており、特に『女性の品格』は330万部を超える大ベストセラーになっている。

 

 さて、このような(私にとっての)ご縁から、「坂東真理子」の名前が背表紙にあればつい手が伸びてしまう。今回手にしたこの本は、70歳を超えた氏が今の想いを書き留めた内容になっている。背表紙の裏に『「人生で最も幸福なのはいつ頃か」と問われたら、現代では70代ではないだろうか。その貴重な黄金時代を、人生70年時代の先入観のまま晩年として生きるのはあまりにももったいない。人生100年時代をポジティブに生きるヒントは「たしなみ」にある。』とある。

 そして、『70代というのは新しいゴールデンエイジ…人生の黄金時代である』という書き出しで本編は始まる。以降は、小気味よく、そして含蓄ある言葉が続く。気になった文に付箋を張りつつ読み進めた。

○多くの70代は、長い人生の中で自分なりにとても耐え難いと思う厳しい状況や悲しい出来事も何とか乗り越えてきたはずである。あれをしなければよかった、ここの選択が間違っていた、などと取り返しのつかない過去の失敗もある。しかしそれをくよくよ後悔し続けるより、「今ではいい経験になっている」と思うようにしよう。辛いこと悲しいことがあったのになんとか今まで生きてきたのだと、自分を労ってあげよう。「過ぎたことはみんないい思い出」になる。自分だけたくさんの苦労をしてついていないと思わないで、あの苦労や失敗があるから今日の自分があるのだと考える。理不尽な人生に押しつぶされなかったのは自分への勲章である。

○3000万円蓄えがあれば中流老人、1000万円以下では下流老人という線引きではない。私の定義では、中流かどうかはその人のメンタルセット、どういう価値観を持ち、どういう生活態度を持っているかで決まるのだと思っている。人間としてのたしなみのなさが、下流老人をつくる。

 ハッとさせられる文章も多い。

○自分が他人に迷惑さえかけなければ何をしてもいいのだ、「自分らしく」何もせず他人の世話もせず仕事もせず好き勝手に生きるのが高齢者の特権だ、と思うのはやめよう。年金も医療費も自分たちが納めた金額以上の税金によって支えられているのだ。少しでも社会の役に立ちたいと行動する高齢者が増えるのか、もっと高齢者を大事にしろ、手厚い給付を行うべきだと要求する高齢者が増えるかで、高齢社会の風景は変わってくる。

 

 そして終盤では、70代の坂東氏も更にその先を生きる人たちから学ぶ言葉が続く。

○どのように人生の後半期を過ごすかの手本はない。しかしお手本にしたい人は一人、二人ではなくたくさんいらっしゃる。その中から自分で新しい生き方を作り出していく。それが私にとって人生の新しい目標である。

 

 あとがきで次のように述べている。

『わたし達が今行うべきは終活ではなく、老活あるいは老前準備です。十分働いてきたのだから、社会はもっと高齢者を大切にすべきだと要求するより、自分たちは社会や若い世代に何ができるか、考えなければならないのではないかと思います。それは大それたことではなく、まずは普段の生活の中に「美しい」「面白い」「素敵だな」と思うことを見つけ感動する、上機嫌で過ごすようにする、今まで生きてこられたこと、支えてくれた人たちに感謝するといったことです。こうした心がけこそ高齢者のたしなみです。』

 

 ここに書き出したのは、ほんの一部の言葉である。

果たして自分が70歳になった時、同じことが言えるだろうかと考えさせられた。70歳になったから突然思いついたのではない。長い時間の経過の中で、その一瞬一瞬の経験の積み重ねの中で、誠実に事に向き合ってきたからではの言葉なのだろうと思う。

 

 「たしなみ」という言葉を辞書で引くと、『普段の心がけ』とある。新明解国語辞典では、『人前で、でしゃばったり失敗しないように、日頃の言動に気を配ること』とある。

辞書で見ただけでは、この言葉の持つ奥行きや深さは感じられない。

 

 今の自分の年齢での「たしなみ」とは何か、このことを常に意識しながら日々過ごしていきたいと思う。