ファンディの日々雑感。

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映画『50年目の俺たちの旅』

 先日、映画『50年目の俺たちの旅』を観た。

 ドラマ「俺たちの旅」を随分昔に見ていた。いつ頃だったのだろうと調べてみたら1975年から約1年間放映されていた。大人の世界を少しだけのぞいていたという印象が残っている。番組の終わりに詩が写り、甘く切ない気持ちにさせられていた。大学生のカースケとオメダ、先輩で社会人のグズロクの3人がさまざまな青春群像を見せてくれていた。「大学生」「大人」というものに対し、自由や楽しさと同時に、悩みや切なさ、悲しみの深さみたいなものを教えてくれたように思う。

 「­俺たちの旅」は、番組が終わった後も単発でその続編が放映された。『俺たちの旅 十年目の再会』、『俺たちの旅 二十年目の選択』、『俺たちの旅 三十年目の運命』。リアルな時間経過の中での続編。出演者自身が20代前半の時に始まり、その後30歳代、40歳代、50歳代のそれぞれの年齢で続編が作られ、そして今回が70歳代である。登場人物も皆実際に50年の年齢を重ねている。

 年齢を重ねていくことの意味の捉え方が、若い頃とは違った感覚になっていることを思う。若い頃は、過去よりも未来の分量の方が圧倒的に多く、過去を振り返るよりも未来を思うことが日々のエネルギーだったように思う。しかし年齢を重ね、年齢的に未来と過去の分量が逆転してきた頃から、そしてその差がだんだん開いてくるに従い、これまでの人生をしみじみ思うことが増えてきたことを思う。

 若い頃、「人生の可能性」は無限大だと教えられた。次の一歩の踏み出し方の違いで、次の展開は異なったものになり、更に次の一歩の踏み出し方で、更に違ったものになる。生きることはこの繰り返しだと。意識しているか否かに関わらず、生きることは「選択」と「決断」の繰り返しだという。このように人は人生を重ねていくと。

 目の前に真っ白な大きな紙が広がっている。その上を前に向かって進んでいく。後ろには足跡が残っていく。進み方は自由である。どこに向かって行ってもいい。行き先の選択は無限。10年、20年、30年と進むにつれ、その後に残る足跡はどんどん長くなっていく。そしていつの日か人生の幕を閉じた時、無限の広がりを持っていた白い紙の上に一本の筋(足跡)だけが残っている。瞬間瞬間の選択と決断の結果である。過去を振り返った時、「もしあの時‥‥」と思うことも多い。あの時の一歩を違う方向に踏み出していれば、その後の展開も大きく違っていたかもしれない。あるいは「あの時の一歩がその後の人生を大きく変えた」と振り返ることもある。

 「俺たちの旅」の中で描かれたそれぞれの50年間の人生をみた時、このことを改めて考えてしまう。それぞれが「あの時‥‥」と思う場面が出てくる。やり直しができないが故に切なさを感じさせられる。過去は変えられない。受け止めるしかない。

 この映画に出てくる中村雅俊(カースケ)、田中健(オメダ)、秋野太作(グズロク)のこのドラマ出演後の人生はどんなものだったのだろうと思いが巡った。彼らは自身の人生と役としての人生をどのように重ね合わせて行ったのだろう。若さに満ち溢れていた彼らも50年の年月が顔に深い皺を作っている。演じる表情に深みを感じさせられる。

 映画館には結構人が入っていた。平日だったこともあるかもしれないが、皆歳を重ねられた方々ばかりだった。この映画を見て何を感じたのだろう。

 

 この映画を見たことを書こうと思いキーを打ち始めた。書く前には考えていなかった文章の展開になってしまった。この映画のレビューを見てみると総合評価は5段階の4の評価。しかしレビューはなかなか手厳しいことが書かれてあるものも散見される。ストリーは確かに??と感じさせられる部分もある。しかしそれを差し引いてもこの映画を作り上げたことことは奇跡に近いことだと思う。50年という大河、この映画を見ることができて幸せだと今感じている。