もう少し、本のことについて書こうと思う。
読書に目覚めたのは高校生の頃。図書館で借りることもしていたが、ある頃からは読み終えた本を書棚に並べて行き、それが増えていくことに喜びを感じるようになった。そのため借りるより買うことが多くなっていった。その全てをお小遣いだけで足りていたのかはよく覚えていない。書籍購入は、別に貰っていたような気もする。
このころは、前にも書いたが、いわゆる「古典」と呼ばれる本が多かった。サマセットモームの『人間の絆』や島崎藤村の『破戒』などからは、新たな気づきや価値観に本を通して触れ、学んでいたように思う。目の前に知らなかった世界がどんどん広がって行く感覚が心地よかった。そして読み終えた本の数が少しずつ増えて行くことも嬉しかった。
大学に入ってからは、更に読書の幅は広がっていった。ただ授業で使う専門書はあまり読んでいなかったと思う。文芸ものが中心だった。長編ものを読み始めたのもこの頃だったように思う。司馬遼太郎『竜馬がゆく』や吉川英治『宮本武蔵』、五木寛之『青春の門』などは強烈な記憶が残っている。学生時代の何ものにも属さない、束縛されないこの頃は、まさに「乱読」状態だったように思う。面白そうな本を見つけたり、人に教えてもらったりしながら手当たり次第に読んでいたように思う。
大学を卒業してからは、生活の中心は当然仕事となり、学生時代のように“いつでもどこでも”というわけにはいかなくなった。しかし、本から学んだことは限りなく大きく、この習慣を途切らせてはいけないと強く思ったりもした。学生時代は、「時間があるからとりあえず本を読む」だったように感じるが、社会人になってからは、意識的に読まなければ本から離れてしまうように感じた。ある時期、1週間に1冊、年間40冊を目標(ノルマ)にして本に手を伸ばしていた。簡単な記録を手帳に書き込んでいくこともしていた。書名、著者、簡単な感想、◎○△で評価も書いた。記憶は曖昧であることをこの読書記録が教えてくれたりもした。
その時々で、読む本の傾向が変化し、また一つのジャンルに集中するということもでてきた。社会人となり、年齢やキャリアを重ねて行く中で、「人生を見つめ直し、どう生きて行くか」ということを自然と思うようになり、その答えを求めて様々な本を読んだりもした。ナポレオンヒやディールカーネギーなどの自己啓発本を手当たり次第に読んだ時期もあった。

特にカーネギーの『人を動かす』は、仕事上の人間関係に悩んでいた時、この1冊が救ってくれた。また川北義則の本からは、「男とはこうあるべき」と強く影響を受けたことを覚えている。特に『男の品格』は心を震わせながら読んだことを覚えている。結局この人の本は、何冊も書棚に並んでいる。

また、大橋巨泉の『巨泉~人生の選択~』からは、「こんな生き方があるのか」と、その後の生き方の方向性に大きな影響を受けたように思う。そのような影響もあり「夢のハワイ生活」的な、海外生活本も数々読んでいった。「ハッピーリタイア」という言葉も書籍から知った。

その他にも、年を重ねて行く中で「健康本」もいろいろ読んだ。また、立花隆など、いわゆる「ルポ」と言われるジャンルにハマったりもした。
とにかく「読書」は、常に日常の中にあった。しかし、世の中にインターネットが現れ、YouTubeというものが誕生してからは、「読む」より「視聴」に徐々にシフトしていき、ある頃には、読書が日常の中から消えていた時期もあった。YouTube視聴は、刺激的で、労力もいらない。外出の際、バックの中にはいつも「本」が入っていたが、それもなくなり変わりにあるのはスマホ。隙間時間があれば動画を見ている。寝床に入っても枕元にそれはあり、ついつい手も伸びてしまうことが常態化してしまっていた。
今、意図的に本を読むようにしている。結構強い意志力が必要になる。しかし、やはり読書には読書の良さがあることを気づかせてくれる。
一つの部屋が書庫のようになり、どこに何があるのかもよくわからなくなっていたので、思い切って結構な数の本を処分した。「断捨離」という言葉があるが、本だけはなかなかできずにいた。読んだという記憶も無くなっているものから、読んでいる時の情景がくっきりと思い出せるものまで、1冊1冊の思い出も様々だった。
今、夏目漱石の『こころ』を読んでいる。この本、なかなか手強い。しかし、これを書きつつ絶対読み終えると強く心に思った。