ファンディの日々雑感。

日々の生活の中で感じたことを諸々書き綴っています!!

時代を感じさせる地、平戸を訪ねた!!

 さて、車中泊旅の続きである。

 少し前日のことを書き足そうと思う。

 唐津には「虹の松原」を経由して入った。その名前はよく聞くが、どれくらいのスケールなのだろうかと思いつつ、松林の中を駆け抜けた。一本一本の松が大きく鬱蒼としている。広くて大きい!!  走り終えた後で調べてみたら『黒松約100万本』『日本三大松原』の言葉とともに、そのスケール全長4.5km、幅500mとある。なるほど合点がいく。

 そしてその後唐津城に寄る。ここはお城への興味よりも、天守閣から見える風景を楽しみたかったから。思った通り、ここからの景色はまさに圧巻の一言。唐津湾とその先に広がる玄界灘、そして虹の松原。唐津城は、まさに海から攻め入る敵軍を迎え撃つ要塞の構えだった。

 唐津城を堪能した後は、一路平戸市を目指した。伊万里市を経由し松浦市、そして平戸市へのルート。移動の間、雲行きが怪しくなり雨も降ったり止んだりで、この日は青い空は望めなさそうと早々に断念せざるを得ない状況。とにかく平戸市を目指す。平戸大橋を渡りようやく到着。そしてその先の生月島を目指す。生月大橋を渡ってついに到着。ここには、現在6000人の人が暮らしており、安土桃山から江戸に続く頃、多くのキリシタンが暮らしていたが、禁教時代に厳しい弾圧が行われた殉教の地でもある。さて、ここの見所は島の先端にある「塩俵の断崖」。高さ20m、幅500mのスケール。見事な景観が広がっていた。

 この後は平戸市街地を散策した。平戸の歴史を見てみると、1550年にポルトガル船が平戸に入港している。その後、貿易の始まりとともにキリスト教の布教も始まり、当時、日本における最良の港としての地位を獲得していく。歴史の教科書に出てくるフランシスコザビエルも鹿児島からこの平戸に移り布教活動を行っている。しかし、戦国、安土桃山、江戸と続く激動の時代のうねりの中で、平戸の地もその時々の権力者により翻弄されることになる。貿易振興のためオランダ商館をつくつたものの、後の江戸幕府鎖国政策のため海外の窓口は長崎の出島に変わり、またキリスト教禁令により様々な迫害をうけてもいる。

 平戸市に到着した時は、結構な雨が降っており傘をさしながら街を歩いた。まず訪れたのは「オランダ商館」。当時の建物は、禁教令のため築後33年で取り壊されており、現在の建物は2011年に建てられたもの。様々な展示物が当時の様子を伝えており、時代の真ん中にこの平戸もあったことを感じた。

 ここを出た後は、オランダ商館通りの「古い街並み」を歩いた。いい感じの時代感のある建物が続き、レトロ感満載だった。平戸城や教会など見たかったのだが降り続く雨のため断念。

 車窓からになったが、平戸の街を見ることかでき、一度訪ねてみたかったという思いを達成することができた。

 実は、平戸の後は、長崎市に移動し車中泊をしながら翌日は長崎観光を行い、その後は雲仙市を訪ねるというプランだったのだが、雨は強さを増す一方で、長崎方面は夜半から明け方にかけて激しい雨が降り続くという予報が出ていた。日中も雨の予報であり、愛車ブロンプトン長崎市内を散策するのは絶望的で、豪雨の中では車中泊も苦痛に変わり、楽しみも半減してしまう。苦渋の決断で、今回の車中泊旅は、ここで断念することにした。結果的に1泊2日の強行日程になってしまった。

 終わってみれば慌ただしい日程になったが、以前から訪ねでみたかった地であり、充実の旅になった。

 長崎市雲仙市は改めて訪ねてみたいと思う。この後への「続き」である。