ファンディの日々雑感。

日々の生活の中で感じたことを諸々書き綴っています!!

出生率0.78 韓国の少子化対策の失敗・・・

 興味深い配信記事を見つけた。

 『出生率0.78 韓国の少子化対策はなぜ失敗したのか』のタイトル。

 前回に続いて少子化問題関連について書く。

 

 少子化が深刻な問題となっている我が国日本。テスラ社のイーロン・マスク氏に「このままいけば日本は消滅する」と言われたことはこのブログでも幾度となく書いた。

 2020年  女性の半数が50歳超え

 2024年  3人に1人が65歳以上の高齢者

 2033年  全国の住宅の3分の1が空き家

 2040年  自治体の半数が消滅

 2100,年  日本の人口は5971万人

 前回も書いた将来予測である。

 

 現在の日本の特殊出生率は、2022年が1.34人。ところがお隣韓国は、なんとこの数字を大きく上回る0.78人!!

 

 当然韓国政府もこの状況を深刻に受け止め、様々な手を打ってきているとのこと。しかし、莫大な予算を投じてきたもののその成果が現れず、極端な少子化は進む一方だという。

 この0.78という数字、OECD諸国の中で出生率が1を下回っているのは韓国だけとのこと。つまり世界でも類を見ないスピードで少子化と高齢化が進んでいるということである。

 

 この理由がいくつか挙げられている。

○結婚する人が減ってきたことが最大の要因。未婚率は、2020年には男性は50.8%と半数を超え女性も33.6%。

○平均初婚年齢は男性が33.4歳、女性が31.1歳(2021)といずれも30歳を超えており、日本より晩婚化が進んでいる。

○結婚して子どもを設け育てることへの不安の増大。例えば、不動産価格の高騰によりソウルのマンションの平均価格は日本円で1億円超え。


 このような状況に対して政府も対策を講じてきたという。

ノ・ムヒョン盧武鉉)政権では、女性が出産後も働き続けられるよう「短時間勤務制度」を導入、さらに国際結婚家庭への韓国語教育や育児支援を行う「多文化家族支援センター」を全国各地へ設置。
○イ・ミョンバク(李明博)政権では、一定規模以上の企業を対象に「保育施設の設置の義務化」。
○パク・クネ(朴槿惠)政権は、0歳児から5歳児を対象にした「無償保育」の所得制限撤廃。
ムン・ジェイン文在寅)政権では、男性の育児参加の促進に力点を置く。

○去年発足したユン・ソンニョル政権も、低家賃の公営住宅の建設や移民の積極的受け入れを掲げる。

 

 2006年からこれまでに韓国政府が少子化対策に費やした予算は、実に280兆ウォン、日本円にしておよそ28兆円にのぼる。

 

 

 それにも関わらず韓国の少子化は進む一方とのこと。

 この背景には、子を産み育てる世代の『韓国女性の多くが経験する“生きづらさ”』が理由にあるという。ある調査では64%が「結婚に負担を感じる」、77.2%が「子どもがいると就業やキャリアに制約を受ける」と答えているとのこと。(韓国女性政策研究2019)

 そしてこのことは女性だけの問題ではないという。

 「3放世代」という言葉があるとのこと。これは「恋愛」「結婚」「出産」の3つを放棄せざるを得ない若者を指す言葉で、更には「就職」と「マイホーム」を加えた「5放世代」という言葉も誕生したという。

 

 韓国社会に詳しい専門家は「家計は男性が支え、家事は女性が担う」「働く女性を労働力としてしか見做さない」という古い価値観が影響しているという。その結果として、『個人の生活の質や家族生活の幸福度よりも、経済的効率や労働優先といった旧来の価値観が染み込んでいて、こうした旧来の価値観が変わらない限り、やはり自分たちの未来に不安を抱えざるを得ない。/こうした状況を変えていかなければ安心して子供を産んで育てようという気持ちには到底ならないと思います』と、韓国の現状を結んでいる。

 

 そして、記事は日本の現状にも論を広げている。

 『韓国では、男性の育児休暇が広がるなど一定の効果もあったが、「産めよ増やせよ」といった掛け声では若者の意識を変えることはできなかった。予算をつければ少子化が止まるということでもないと言える。10年後、20年後の未来に希望がもてない。仕事か家庭かどちらかを犠牲にしなくてはならない。こうした生きづらさは、日本でも同じ。仕事と家庭生活が両立できる社会、将来に希望をもてる社会にしていくことが、何より求められているのではないか。少子化を食い止めることができなかった韓国の経験を他山の石として、日本政府には実効性のある少子化対策を打ち出してもらいたい』

 

 韓国ほどではないにしても、日本も世界に類を見ない速さで少子化が進んでいるのは事実である。今後取る日本の政策が「他山の石」にならないことを祈るばかりである。