ファンディの日々雑感。

日々の生活の中で感じたことを諸々書き綴っています!!

長崎観光、その2!!

 長崎観光3日目。

 実は、初日に車中泊をした道の駅「夕陽ヶ丘そとめ」と2日目の「道の駅ひまわり」でちょっとしたドラマがあった。道の駅「夕陽ヶ丘そとめ」に着いたのは21時を回っていたと思う。最近の車中泊ブームで、観光メッカの長崎市に最も近い道の駅なので駐車スペースの確保を心配していたのだが、到着時なんと2台しか車がない。不思議さを感じつつ車内を整えた後、トイレに行くと60代半ばと思わしき男性が話しかけてきた。「10分ほど前まで、爆音を鳴り散らすバイクや車でえらい騒ぎだった」という。停まっていた多くの人(車)が逃げるように出ていったとのこと。自分はその時、すでにアルコールを摂り、車中泊モードに入っていたため、出ていくわけにもいかず、「ああ、どうにでもなれ!!」と開き直って静かになるのを待っていたところ先ほどようやく静かになったという。話すその表情には安堵感が漂っていた。

 氏とはその夜はそれで終わったのだが、2日目の「道の駅ひまわり」で、なんとまたこの男性にばったり会ったのである。行き先が同じルートだったのだろう。予期せぬ再会にお互いびっくりし、その後、いろいろお話をさせていただいた。現在65歳という。65まで働いた後退職し、今、以前からやりたかった車中泊での旅行を楽しんでいるとのことだった。今日は島原城に行き、その後は嬉野温泉でゆっくりすると言われていた。短い時間であったが、このような予期せぬ旅の途中の出会いは、思い出を色濃いものにさせてくれると改めて感じた。

 

 さて、島原に来たのは、雲仙仁田峠に行くことが目的だった。バイク雑誌仁田峠の絶景写真が度々紹介され強く印象に残っていた。ぜひともこの目で見たいものだと以前から思っていた。そして普賢岳のその後も気になっていた。

 雲仙岳は、島原半島中央部にそびえる火山で、半島中央部にそびえる20以上の山々の総称である。火山で有名な普賢岳もその中の一つ。

 この日は雲ひとつない、午後からの強烈な暑さを予想させる青空が広がっている。車中泊時の朝は早い。車内を片付け、お湯を沸かしコーヒーを淹れる。パンと一緒に朝食を済ませ、いよいよ出発する。旅の道案内はGoogleマップ。カーナビもあるがもっぱらこれを利用している。

 仁田峠最高部の標高はおよそ1100m。眼下には島原市が一望でき、その先には有明海が広がっている。さらには熊本市を見ることもでき、そのはるか先の阿蘇山もその位置を確認することができる。仁田峠の終点ポイントの第1 展望所は妙見山頂に至るロープウェの発着場があり、またここを起点として雲仙岳登山が始まる場所でもある。ウンゼンツツジ(ミヤマキリシマ)があちこちに見ることができ5月の中頃は見事な花を咲かせるとのことだった。

 普賢岳は、1990年から1995年まで活発な噴火活動が見られた。大規模な火砕流が山腹の木々や麓の家屋を飲み込んでいく映像がテレビで連日報道されていた。山頂からその場所を見ると、火砕流の跡は、スキー場のゲレンデのようにきれいに整地されたような姿でその後を確認することができる。山頂のから有明海に至るまでのスケールは、火砕流の規模の大きさを容易に想像させるものだった。

 この時の火山活動で形成された溶岩ドームは、普賢岳の高さを超え、平成新山という名で登山客を迎え入れている。

 ようやく念願叶って雲仙仁田峠を走破することができた。秋は紅葉が見事のようである。また着てみたいと思わせる場所だった。今度は、ぜひバイクで来てみたいと思う。

 

 さて、島原での目的を達成した後は、フェリーで熊本に渡る。40分ほどの乗船時間。今回の旅の最終地は、剣豪宮本武蔵が「五輪書」を書いたといわれる洞窟(霊巌洞)。学生の頃、吉川英治の書いた「宮本武蔵」を読んだこともあり、ずっと以前この地を訪ねたことがある。もう記憶もほとんどなくなっていることもあり、再び訪れたいとこの地を選んだ。この山間の人里離れた場所で宮本武蔵は「五輪書」という名の兵法の書を書き表した。およそ500年前。まさしく孤高の人生を歩んだ宮本武蔵。もう一度この本を読み直してみたいと感じた。

 霊巌洞を訪ねた後は、帰路に着いた。今回の長崎観光は、自転車で周ったことで効率よく隅々まで回ることができた。自動車+自転車の旅のスタイルは、旅の充実度を大きく増す事を感じている。いい取り合わせだと思う。愛車ブロンプトンへの愛着が更に増している。

 そして今回の2泊3日の旅は、9月下旬にスタートする北海道旅の事前練習の意味もあった。車中拍をより快適化するためのアイデアもいろいろ浮かんできている。しっかり準備を進めていきたいと思う。