「老い」についていろいろと考える年末年始になった。
人は、年齢を重ねるに従い老いていく。例外なく全ての人が。しかし、このことを我がこととして実感するのは随分後になってからのように思う。身体の変化は、早くに気がつく。このことを最初に意識したのは、ラジオ体操が「体操」だと感じた瞬間だったように思う。中学や高校の時、運動会で必ず全員でやっていたが、若い身体には、「体操」ではなくただ体を動かしていただけで、体への負荷は全く感じなかった。しかしある時から、「ああ体操だ!!」と感じるようになっていた。そして身体の俊敏性や柔軟性に関しても、ある頃から確実に後退していることを痛感しだした。
身体の変化を、ただそれを受け入れるだけでは、「老い」は確実に進む。そしてそれは加速していくように思う。故にそれに抵抗し、現状を可能な限り保ちたいという思いの中で、ジムに通うことを決めた。このことについては2023.3.27、2022.11.23のブログでも書いてきた。現在は、筋トレに入る前にストレッチを入念にすることを習慣化している。約30分程度。従来から身体の硬さを痛感していた。ステレッチを意識して行うようになり半年くらい過ぎたと思うが、随分と身体が変化していることを感じている。先日、自宅でも「〜しながら」気軽にやれるようジムで使っているフレックスクッションを購入した。傾斜のあるストレッチ用クッション。これを使って柔らかな身体を手に入れたいと思っている。
「老い」のテーマから、話が横道に逸れてしまった。話を戻そうと思う。「老い」のことを書いている中で、以前このことを主題にした本を読んだことがあることを思い出し、書棚を見てみた。2冊の本が出てきた。
一冊目は、橋本治著『いつまでも若いと思うなよ』。紹介文には、『若さにしがみつき、老いはいつも他人事。どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか―。バブル時の借金にあえぎ、過労で倒れて入院、数万人に一人の難病患者となった作家が、自らの「貧・病・老」を赤裸々に綴りながら、「老い」に馴れるためのヒントを伝授する。「楽な人生を送れば長生きする」「新しいことは知らなくて当然」「貧乏でも孤独でもいい」など、読めば肩の力が抜ける、老若男女のための年寄り入門。』とある。自ら感じる老いと向き合いつつ書かれている本。題名は自らへの忠告のように感じる。なるほどなるほど思いながら読み進めたことを思い出す。
二冊目が、吉本孝明著『老いの超え方』。残念ながらこの本を読んだという記憶がほとんど残っていない。しかしページをめくると所々線を引いているので読んではいるのだと思うのだが。多分読み終えていないのだろう。今、改めて目次を見ると大変興味をそそられる言葉が並んでいる。紹介文を見てみると、『今年83歳になる戦後思想の巨人による完本・老体論。糖尿病、白内障の手術、腸がんの切除手術など多くの病気を抱え、ほとんど歩けず見えない生活で取り組む「吉本式日々の体操」と生活の必需品をカラー写真と文章で紹介。足・腕・指・脊髄の鍛錬、散歩、パソコンで拡大文字を読む。身体の衰えと反比例し拡張する精神。「老い」の本当の姿を率直無比に語りつくす貴重な一冊。老いの語録集付き。』
これを読んで、俄然、読み直してみたくなった。
年明けから、バタバタしていたため中々ジムに行けず、昨日10日ぶりに行くことができた。脚部、腹部、上腕部にそれぞれ負荷をかけていった。そして、本日、各部軽い筋肉痛。効いた証拠である。起床時、これを感じベッドの中でニンマリしたのは言うまでもない。
春山茂雄氏のいう「成長ホルモン」の発生なのである(笑)