ファンディの日々雑感。

日々の生活の中で感じたことを諸々書き綴っています!!

凶悪犯罪報道から考えたこと。

 ここ数日、全国各地で凶悪犯罪が起こっている。強盗殺人未遂などのニュースが連日報道されている。

 今から20数年前だろうか、ある雑誌に、将来日本で発生する犯罪がアメリカ型になっていくという記事があったことを記憶している。そこには「この30年の内に」という言葉があった。

 本当にそうなっていくのだろうかという思いだったことを思い出す。当時は、いわゆる凶悪的なものはあまりなかったように思う。

 

 昨夜聞いたYouTube番組「辛坊治郎ズームそこまでいうかしゃべり残し」で、辛抱氏が興味深いことを言っていた。

『過去20年の間に、日本の刑法犯の認知件数はすごい勢いで減ってきていた。』

『2年前が底』

『昨年は増えた。今年件数が増えていくとすれば、今後更に増えていく方向に転換していくような気がする。』

 氏がこのことを話した理由は、「最近治安が悪くなったよなぁ」という言葉を耳にする機会が増えたからだという。いわゆる体感治安というもの。そこで統計資料をもとに話したのが、前述の言葉である。

 

 前述の雑誌の記事のこともあり、この『凶悪犯罪』について少し調べてみた。

 まず、『刑法犯』とは、刑法等に定められている殺人・強盗・放火・強姦(強制性性交等)・暴行・傷害・窃盗・詐欺などの犯罪のこと。そして『認知』とは、被害届などにより、警察が、犯罪が発生したことを知ったことを意味する。

 刑法犯の認知件数は、昭和期は120万件から150万件で、平成元年には160万件台だったが、急増し、平成14年に280万件を超えた。その後減少に転じ、平成30年には約82万件と、平成元年の半分、ピーク時から7割以上減っている。

 家屋侵入窃盗は、平成元年の23万件から、平成30年には6万件余りにまで減少している。殺人、強盗などの凶悪犯は、昭和期には1万5千件から1万件、平成の初めは約6千件。平成前半に急増した後で減少に転じ、昨年は4900件。いずれの犯罪も数の上では大きく数値を下げている。

 

 「安全神話」という言葉で形容される日本の治安。しかし、今、犯罪件数が減ってきたにも関わらず、人々が感覚的・主観的に感じている治安の情勢は悪化している。

 

 このことついては京都産業大学法学部教授の田村正博氏(社会安全政策・警察行政法)がwebに解説記事を載せている。これによればその理由は2つあるという。

 一つは、『人は誰もが悪いことに敏感に反応するからであり、悪いニュースは広まりやすいのに対して、良いことはほとんどニュースに取り上げられない。また、多くの面で改善していても、悪い事態が一部であれば、専門家も、責任ある行政機関も、「一部で悪化している」ことを指摘して注意喚起をするのが通例。「受け手は、ニュースに流されるのではなく、客観的な事実をきちんと知ろうとすることが大事」』という。

 もう一つは、『被害が少ない社会になったからこそ、一つ一つの被害が深刻な影響をもたらし、社会的にもより注目されるようになってきたことによるもの。交通事故を含む不慮の事故で亡くなった30歳未満の方は、平成元年には7,593人だったが、平成28年には1,262人と大幅に減った。人生には様々なことがあり運が悪ければ途中で命を落とすこともあるという社会から、人は不当な侵害を受けることなく、高齢になるまで死なないのが当たり前の社会になったことが、「あり得ないはずの事態」をもたらす犯罪に厳しい目が向けられ、社会的な反応を大きくしているといえる。』と、述べている。

 

 ネガティブ思考になってしまう背景には、マスコミのセンセーショナルな報道のあり方もあるように思う。連日、繰返し報道する。確かに個々を見ると衝撃的な事件である。『息子や孫を装うオレオレ詐欺などの「特殊詐欺」』『無差別殺人』『強盗殺人と闇バイト』『首相銃撃』『DVや児童虐待による殺人』。

 今日も一昨日銀座で起こった『時計店襲撃事件』の経過を伝えている。

 

 特別な事件であっても、身近で起こり得る事件のように感じてしまう。

 「注意喚起」も度を越せば「心理的委縮」にもつながるように感じる。

 難しいところであるが、田村教授も言っているように「流されるのではなく、客観的な事実をきちんと知ろうとすること」が大切だと思う。

 個々が現状を正しく知り、正しい防犯知識を持つことで自己の安全性を高めていかなければならないように思う。